意識高い系中島diary

都内在住。意識高い系大学生の見聞録。Twitter ID @Nakajima_IT_bot

僕はバーテンダーになる夢を諦めた。

薄暗い店内に、シェイカーの音が響く。

 

『隣のお客様からです。』

 

そう言って僕はグラスを差し出す。

 

黒いワンピースを着た女は、贈り主に会釈をする。大きなピアスがきらめく。

 

贈り主は女と話を始めた。彼の吸うタバコの煙が、ゆっくり天井に上る。

 

僕は邪魔をしないように、裏へピスタチオを取りに行く。

 

 

 

何分か経って戻ると、ちょうど彼らが店を出るところだった。

 

さっきまで他人だった彼らは手を繋ぎ、タクシーに乗りどこかへ消えていった。

 

テーブルには1万円札が置いてあり、タバコからはまだ煙が上っていた―

 

 

こんなおしゃれなバーで働きたい。

 

こう思った僕は求人サイトで時給1500円バーテンダーのバイトを見つけ、大学生にはまだ早い街、六本木に向かった。

 

その店は首都高沿いの、雑居ビルの中にあった。10階まで登り、店と思われる扉の前に立った。

 

ー看板がない

 

そう、僕が申し込んだのは『会員制』のバーだった。噂には聞いたことがあったが、こういう所は一見さんお断りのため看板を出さない。僕はその階にある中で一番それっぽい店のインターホンを押した。

 

ーはい。

 

名乗らない。本当にあってるのか不安になった。

 

ー今日面接をお願いした中島です。

 

ー…

 

ーすいません、ここはお店ではなかったでしょうか?

 

ー入って。

 

そしてすぐにドアが開けられた。

 

店の中はほとんど真っ暗だ。香水とタバコが混ざった匂いが充満している。

 

ーようこそ。

 

180cmは優に超えるガタイのいい男が、ニコリともせず奥から出てきた。

 

ー面接にきた中島です。よろしくお願いします。

 

ーはい。じゃあこっち来て。

 

僕は男についていく。

 

カウンターの奥にはバーらしく大量のお酒が並べられていた。店内には高級そうなソファーが置かれ、カーテンで仕切られた個室がその奥にいくつか見えた。

 

僕はその個室のひとつに案内された。

 

どうやらその男は店長のようだった。志望動機を話し、履歴書を渡すと、彼は個室を出ていった。その間、言葉を発することはほとんどなかった。

 

それにしても店が暗い。相手の顔もろくに見えなかった。店を見渡しても客は見当たらない。平日の早い時間帯だからそれは普通か。個室の窓からは、赤く輝く東京タワーが見えていた。

 

なんだかやばい雰囲気がしてきた。サイトには明るく楽しい職場ですと書いてあったが、どう頑張ったってこんなところで明るく楽しく働けるわけがない。

 

数分後、男が戻ってきた。

 

ーいまからオーナーのところ行くから付いてきて。

 

ーえ、移動するんですか?

 

ーそうそう。俺店長だけど、採用の権限ないからオーナーのとこ行くの。なんか君のこと話したら気に入ったみたいよ。気をつけてね。

 

気を付けてね。

何を気をつけてというのだろうか。あと俺はどこに連れてかれるのか。そんなの聞いてない。

 

でもここまで来たら最後までいてやろうと、僕は彼について行くことにした。

 

個室を出ると、さっきまで誰もいなかったカウンターに長い金髪の男が白いジャケットを着て酒を飲んでいた。

 

ーこいつ同僚のタカ。一緒に働くかもしれないから挨拶しといて。

 

ー中島です。よろしくお願いします。

 

タカはこっちをじっと見つめただけで、すぐに酒を飲み始めた。僕はどうしたらいいか分からなかったが、男が行こうと言ったので、黙って店を出た。

 

やばい。ここは普通じゃない。白いスーツやジャケットを着てる人間はロクでもないやつしかいない。そう相場が決まっている。

 

帰らせてもらおうかと思いながら道を歩いたが、ここで急に男が自己紹介をし始めた。

 

ー俺ダイキ。大学のときは1000人くらいのイベサーの代表してたよ。色々あっていまオーナーの世話になってるんだけど。よろしく。

 

予感が確信に変わった。1000人規模のイベサーの代表が安全な人間なわけがない。絶対にやめた方がいい。

 

ーここ。着いたよ。

 

走って逃げようかと思ったとき、ちょうど目的地についた。

 

着いたのは立派なマンションだった。30階はあろうかという高さだ。中に入り、黒い大理石で埋め尽くされたエントランスでダイキがコードを打つ。インターホンから

 

ー入って。

 

と男の声がし、扉が開いた。

 

エントランスも、エレベーターまでの廊下にも誰も人がいなかった。フロアはいい匂いで満たされている。壁も床も全て黒の大理石で、ところどころに壺に生けられた華やかな花が飾ってあった。

 

もう引き下がれない。行くしかない。

僕は覚悟を決めた。

 

エレベーターで20階あたりまで登った。暗い廊下を進み、大きな扉の前でダイキは言った。

 

ーこの中にオーナーいるから、話してきて。俺ここで待ってるから。

 

あんたは来ないのか。どういうことだ。

僕は扉の前で立ち尽くした。まるで千と千尋の神隠しじゃないか。湯婆婆の部屋に行った千尋はきっとこんなに心細かったに違いない

 

 

だが僕は大学生だ。10歳の弱虫だった少女とは違う。僕は自分でドアを開け、中に入った。

 

部屋の中も同じくらい暗かった。ひょっとすると彼らは吸血鬼で、光を浴びると死ぬんじゃないだろうか。

 

するとパッと玄関に灯りがつき、奥の扉から長身のイケメンが出てきた。



ー面接の子?こっち来て。

 

僕はリビングと思わしき部屋に案内された。

 

広い部屋では撮影会らしきものが開かれていた。カメラマンがせわしなく動き、おしゃれなインテリアや飾ってある服、部屋の写真を撮っていた。ベランダにある大きな窓からは、また東京タワーが見えた。窓はまるで額縁のようだ。

 

ー今これ何してると思う?

 

ー...家具のPR写真を撮ってるんですか?

 

ー惜しいね。ここはパーティールームなんだ。で僕はこの部屋のオーナー。この部屋をサイトに乗っけてここでパーティーしたい人を集めるの

 

ーなるほど。

 

部屋は広く、ソファーから大きなベッドルームが見えた。

 

ーところで飲食の経験は?

 

ないです。そう答え、簡単な面接をした。オーナーはアキラと名乗った。

そこまでは良かったのだが最後に

 

ーじゃあよろしくね。あとよくお客さんどうして殴り合いが始まるからそのときはよろしく。

 

そのときはよろしく。なんだそれは。

 

ー逆ギレされて殴り返されるかもしれないけどそれもまあ勉強だから。あと○○の社長とか××の代表取締役とかも常連なんだけど、あの人たちほんと強烈で何されるか分からないけど、いい経験だから耐えてね。

 

何されるか分からない。一体何をされるんだ。

 

ーあと君にはいつか俺が持ってる不動産のいくつかを管理してもらうよ。不動産ってめっちゃ儲かるから。その勉強もしとくといい。

 

俺に不動産を任せる初対面のただの大学生にこの男は何を言っているのだろう。

絶対におかしい。

僕は部屋を出て、外で待ってたダイキと帰った。

 

ーどうだった?

 

ーなんかバーで働く話だったのにどんどん話が大きくなってて…

 

ーじゃあアキラさんに気に入られたんだ。良かったじゃん。うち来るお客さんやばい人多いけど儲け話も持ってきてくれるから。おれ22だけど、この時計200万だよ。

 

そういってダイキはピッカピカの時計を見せてきた。

 

歳に見合わない高級品を身につけてるやつにろくな奴はいない。間違いなくこの店で働くのはやばい。

 

ーじゃ、LINE教えて。次いつ来るか後で決めよ。

 

そう言ってLINEを交換し、僕はとりあえずお礼を言って家に帰った。

 

 

 

あの店はやばい。働いたら死ぬ。そう思った僕はネットの力を借りて徹底的に店をエゴサした。

 

店はすぐにヒットした。

 

インスタには、筋骨隆々の腕にでっかな刺青をした色黒の男達が酒を飲んでいる写真、水商売系の女が積まれたシャンパンを前に中指を立てる写真、ダイキがパンツ一丁で踊ってる動画が載っていた。

 

そしてオーナーのアキラがいるサイトを見つけた。歌舞伎町にあるホストクラブだった。アキラは数年前までそこのホストだったのだ。ドンペリを持って微笑む彼は、今よりずっと若く、白いジャケットに身を包み、長い髪をライオンのように逆立てていた。

 

そして、僕が案内されたあのパーティールームは、界隈では有名ないわゆるヤリ部屋だった。金持ちたちが若い女性を部屋に呼び、パーティーと称し酒やご馳走を振る舞い、その勢いで続きをする。どうりであの部屋にはやたら大きいベッドがあったわけだ。

 

やはりどう考えても地雷である。まず飲食経験の無いしがない大学生にいきなり時給1500円はありえない。やっぱり世の中うまい話などないのだ。

 

僕はそっとスマホを取り出し、ダイキに『申し訳ありません。自分には向いてないと思うので辞退させていただきます。』とLINEを送った。

 

『残念ですが分かりました。また何かの縁があればお会いしましょう。』

 

ダイキは思いの外、丁寧に返信してくれた。

 

彼のLINEのホーム画面には、華やかな生活が投稿されている。

 

世間の22歳では到底買えないカバン、スーツ、高級車がずらりと並んでいる。

 

あの時あそこで働いていたら…と思うこともあるが、どう考えてもリスクがありすぎた。

 

 

 

 

憧れのバーテンダーになる夢を諦めた僕は、今日もいつも通りバイトに向かう。

 

『隣のお客様からです。』

 

そういってカクテルを差し出すはずだった僕は今日も

 

 

『お待たせしました。』

 

 

そういって牛丼を差し出すのであった。