サワコの朝のムロツヨシさんの回が面白かった

 

 

先週のサワコの朝にムロツヨシさんが出演されていました。

 

今ではテレビで見ない日はないと言えるくらい売れっ子のムロツヨシさんですが、かなり波乱万丈な半生を過ごされ、番組では彼の半生が紹介されていました。

 

ムロさんの両親は4歳のときに離婚しました。ムロさんの父親が親権を取りましたが、なんとすぐにムロさんを親戚のもとにあずけ、他の女性のところに行ってしまいます。

ムロさんはそれ以来母親と1度も会ったことはなく、父親は再婚と離婚を幾度となく繰り返し、次々と住む場所、家族が変わっていく状況で育ちました。

さらに驚いたことに、ムロさんのお父さんは他の女性の家にいき、新しい女性と子どもとで暮らしてる訳ですが、そこにムロさんを招待し泊まりに行くというイベントが何度もあったそうです。

 

もちろんそこには自分の知らない父親の子どもがいるわけですが、ムロさんは肩身の狭い思いをすることは全くありませんでした。

 

しかもそれは1度きりではなく、また別の女性のもとにお父さんが行ってしまい、遂に結婚します。そしてまたムロさんは親戚の家から新しいお父さんの家に呼ばれ、またそこで知らないお父さんの子どもたちと仲良くなりご飯を食べたり家に泊まったりしたそうです。

普通に考えると常識外れの有り得ないお父さんですが、ムロさんはお父さんのことを恨むどころか好きで仕方がなかったそうです。

 

「あのね、本当に親戚の家に預けてる親父、たまに来る親父、夏休みに知らないとこの家に行かせる親父が、ずっと嫌いじゃなかったんですよ。軽蔑もしてない。なんて楽しそうに生きてるんだ、この人って。

 

そんなムロさんは中学高校と進み、将来は「ちゃんと働こう」と思うようになります。そして彼が出した答えが「偏差値の高い大学に行く」ことでした。

 

そしてムロさんは東京理科大学理学部数学科に進学しますが、なんと入学して3週間で中退してしまいます。

 

というのもムロさんの周りにいるのは何か研究したいことがあって大学に来た人ばかりで、一方自分は学歴のためだけにいる。そんな夢のある人たちを見て、やりたいことがある人が一番カッコイイと思うようになります。

 

そして入学して間もない時にたまたま観た舞台に感動し、役者を志すようになります。

 

「それで役者やりたいと思ったら理系の大学は要らないだろうと」

 

大学を3週間でやめたムロさんですが、役者を志した理由は他にもありました。それは彼の家庭環境です。

 

幼い頃のムロさんは、金銭トラブルがきっかけで近所に住む叔父さん一家とお父さんの一家が取り返しのつかないほど仲が悪くなってしまいました。そのときムロさんはどっち側につくのかを迫られました。

 

 

ムロさんはずっと1人で好きにやってきたお父さんは好きだが、育ててくれたのは叔父さんだと認め、叔父さん側につきます。ですが結局お父さんも叔父さんも金銭トラブルの詳細については「色々あるんだ」と誤魔化し、ムロさんには教えてくれませんでした。

 

そこでムロさんは決意します。

 

「言わないといくんであれば大人たちよ。僕も好きなように生きて見せます。その代わり僕は一人で生きて、親父のいいとこ、親父が一人で生きてきたように僕も1人でやりたいことをやりたいようにやった姿を見せて、育ててよかったと思わせるようになろうというね」

 

 

そしてムロさんの下積み時代が始まります。
色んな劇団を渡り歩いたムロさんはあるとき芝居が楽しくなくなり、なら自分一人でやってみようと自分で脚本を書き舞台を借り、一人舞台をやりました。

しかしそれが大失敗。自分で書きながら少しも面白いと思えない劇をやり、案の定お客さんからの反応も最悪。招待した友人からは「面白かったよ」の一言はなく、「頑張れよ」としか声をかけられませんでした。

 

ムロさんにとってその日が人生で1番の悲劇の日だったそうです。

 

その日からムロさんの暗黒時代が始まり、面白いってなんだろうと思い悩み、舞台もドラマも映画も見られない日々が続きました。

 

そんなある日の夕方、ムロさんは差し込む夕日を見て涙が止まらなくなりました。

 

「何やってるんだろうって思って。あれ、おれ、役者目指してるのに何でこれまた明日の給料もらってなんとか食いつないで。あれ何やってるんだろうって思って。いや、だめだこのままじゃと思って。もう変えるしかないと思って、次の日から自分を営業する日々が始まったんです。」

 

そしてムロさんは行ける飲み会には片っ端から顔を出し、友達にも色んな飲み会には招待してもらい、ひたすら名前を売り込み続けました。

続けること2年。とある小劇場の飲み会にたまたま「踊る大捜査線」の監督をしていた本広克行さんがいました。

 

そこでムロさんは猛アピール。

 

「監督さん、ムロツヨシはですね。」「ムロツヨシはこう思います。」「ムロツヨシならこうします。」と、ひたすら会話でムロツヨシを何度も言い続けました。

 

絶対に名前を覚えてもらうために。

 

そして、その後、本広さんが映画の新しいキャスティングを考えている際に、何となく名刺入れを眺めているとふと目にとまった名刺がありました。それがムロツヨシさんがあのとき渡した名刺だったのです。

そういえばこんな変な奴いたなあと思った監督さんはムロさんを抜擢。そして徐々に役者として評価されていくようになりました。

 

ムロさんはその後、様々なドラマに出演し、コメディな役柄で人気を博します。

 

そして2018年、42歳でエランドール新人賞を受賞されました。

 

夢を叶えるのに年齢は関係ない。

 

ムロさんはまさにこの言葉を体現されていると思いました。

 

 

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