今日はめちゃめちゃ雪が降り、僕が出先から帰る頃にはすでに雪が積もっていた。運よくダイヤは乱れず、すぐに家に帰れたが、全身雪で真っ白になった。そんな日に思い出すのが、雪の科学者 中谷宇吉郎だ。
中谷宇吉郎は、1900年に石川県で生まれた。高校卒業後、東京帝国大学理学部物理学科に入学。その後理化学研究所を経て、留学後に北海道大学理学部教授になった。
中谷は雪の科学者として有名だ。彼が本格的に雪の研究を始めたのは北海道大学にいた頃である。中谷自身、自分が住む北海道にふさわしい研究テーマは何かと思案していた時、アメリカの農夫ベントレーが撮影した雪の結晶の写真集の美しさに感動し、研究を始める。
中谷は美しい結晶のみならず、様々な結晶を顕微鏡で写真に撮り、分類した。そして仮説を確かめるために人工雪の製造に取り掛かる。そして1936年に世界で初めて人工雪の製造に成功した。
中谷は雪研究の第一人者としてその後も活躍し、彼の研究成果は様々な問題に応用されていった。
そんな中谷はこんな言葉を遺している。
雪は天から送られた手紙である
中谷は研究により、湿度と温度の関係、つまり天空の気象条件により、どのような結晶が生まれるかを明らかにしたのだった。
中谷を語る上で切り離せないのが、寺田寅彦だ。寺田は中谷が東京帝国大学時代の恩師であり、のちに中谷は理化学研究所で寺田研究室の助手となる。
寺田寅彦は第二次世界大戦以前の日本で活躍した物理学者であり、様々な方面で大きな業績を残した。彼の研究の特徴は、身の回りの現象についての統計力学的研究である。彼は”金平糖の角”や、”ひび割れの研究”など、身の回りの当たり前の物理現象について理解を深め、新たな発見を積み重ねていった。
そんな寺田と中谷の師弟関係に通ずるもの。それは、二人とも随筆を多く書いたことである。
二人が残した随筆は、科学と文学を融合させたという点で、当時は画期的なものだった。
特に中谷が書いた、”寺田寅彦 わが師の追想”には、日常に潜む物理を探求する師 寺田の姿が描かれている。
二人に共通する点は、情緒を大切にしていたという点だ。
中谷は北海道で見た雪の美しさに感動し、世界的な研究成果を生み出した。寺田の随筆には、研究で感じた感動が洗練された表現で描かれ、読むものに科学の美しさがすっと入ってくる。
ただ実社会で役に立つから、という理由で研究をするのではなく、自分がとても感動し、さらに知りたいと感じたから、もっと深く研究する。そうすることで一見役にたたなさそうな研究から、社会に大きく役立つ成果が生まれるのだ。
いざ、自分を思い返すと、そのような感動する気持ちは、最近失われてないだろうか。
雪を見れば、”電車大丈夫かな”とか、”路面凍ったらあぶねえよ”とか。そのくらいのことしか考えることができない。雪合戦したり、かまくらを作って遊んだあの頃の心は失われ、つまらない大人になってしまったのだ。
雪は天から送られた手紙である
中谷のこの言葉を思い出し、些細なことに感動できるような心を忘れずにいこうと、そう思った1日であった。