自己啓発本なんて読んだところで意味あるの?

 

 

最近僕の周りにも落合陽一はすごいやらホリエモンの本が面白いやら言い出す人たちが増えてきた。

いや、確かに落合陽一もホリエモンもみんなすごい。

すごいんだけど、すごいすごい言ってるやつらはみんな書店で平積みされているこんな感じの本を読んだりネット記事を読んだりしてそう言っているように思える。

 

 

 

僕は彼らに問いかけたい。

「自己啓発本なんて読んで意味あるの?」と。

 

 

 

僕はひねくれた人間だ。

みんなが右と言ったら左を向いて、左と言ったら右を向いてやりたい。

最近のいわゆる意識高い系が好きな会社に縛られない新しい働き方だの何だのはだいぶ前にかじったことがあった。もちろんそれに感動して色々トライしたこともあったが、いざ周りがそれをやり始めると一気に萎えてしまう。

 

今日も授業中、急にそっちの世界に興味を持ったテニサーの男たちが無駄におしゃれな自己啓発本を持って寄ってたかって「俺明日からスタンフォード式睡眠法試すわ」とか「毎朝瞑想すると生産性上がるらしいぞ」なんて言ってやがる。何だそれ。

 

意識高い系中島diaryなんて名前でブログを書いているが、いざそんな意識高い系に出くわすと全身の穴という穴から変な汗が出てきてしまう。

 

 

おいお前ら。いつもベラベラでかい声で騒いどいて急にどうした。

何がスタンフォード式睡眠法だよ。

んなことしなくたって毎日ぐっすり眠れるだろ。

何が生産性だよ。

意識高そうな言葉使うなよ。

何なんだこいつら。

 

 

こんな感じで僕の中のひねくれスイッチがオンになってしまう。

 

ただはじめに書いたように、僕にも意識高い自己啓発本にはまっていた時期があった。やたら目をひくデザインの装丁の本を書い、最先端をいく新しい生き方に感化され、俺は凡人とは違うんだという気持ちに浸った。

 

 

 

そんな時期が3ヶ月ほど続き、書店に平積みされているような自己啓発本を一通り読み終えたとき、あることに気が付いた。

 

 

......これ、全部書いてあること同じじゃね???

 

 

そう思って眺めてみるとだいたいどの本も同じことが書いてある。

 

 

会社をやめろ

借金をしろ

常識に縛られるな

早起きしろ

些細なことに感謝しろ

好きなことで生きていけ

嫌なことはするな

スキマ時間を有効に使え

 

 

 

そしてまた気が付いた。

 

 

そんなの言われなくても分かってんじゃん。

 

 

こいつら全部、今まで先生や親に言われたことそのままだった。

 

会社をやめろだとか借金をしろはこれから働き出してからのことだが、早起きしろとか好きなことをしろとかは今まで何度も親や先生に言われてきたことだった。何なら自分の中でも「そうした方がいいんだろうなあ」と思ってきたことだった。

 

結局のところ、自己啓発本とかビジネス書は大多数の人が思っていても実行できない理想をあの手この手で目新しく見せかけて書かれているだけだ

 

だからどの自己啓発本も、突き詰めれば書いてあることはみんな一緒

何冊読んでも意味がない。金の無駄だ。

 

しかもどうせ読んだところでなーんにも変わりはしない。いや、書いてあることを実行すればそりゃ運も回ってきて人望も厚くなるのかもしれないけど、残念ながらみんなやらないんだ。

 

読んで賢くなった気がして、終わり。以上。はい次のホリエモン。

なるほど。好きなことで生きていけばいいのか。よし、僕もそうしよう!

好きなことで生きてくぞ!以上。はい次の落合陽一。

 

そんでもって次の落合陽一を読んでる間に前のホリエモンのことなんかぜーんぶ忘れて、また次の週には同じことが書いてある自己啓発本を買って自己満足して金だけ使っちまうのだ。

 

何と無駄なサイクル。そして何と巧妙な出版社の手口。意識高い系を手玉に取る「自己投資」なんてかっこいい響きを駆使したうまい商売だ。

 

意識高い系は「自己投資」っていう響きがだーいすき。本を買ってもブランド品を買っても英会話教室に高い金払ってもぜーんぶ自己投資。

この謳い文句を使えばじゃんじゃん金を落としてくれる。いい仕事だねぇ。

 

 

 

まあそんな感じで自己啓発本は何冊読んだところで意味はない。と僕は思ってる。

 

たまに買うことがあっても2ヶ月に1冊ほど。

でもただ読んでも意味がないので己にルールを課した。

 

必ず本に書いてあることを一つは実行すると。

 

それ以来必ず一つは自分の生活の中に溶け込ませるようにした。例えばこのハーバードの人生を変える授業っていう本にあった「毎日その日あった良かった出来事を書き留める」っていうのはずっと継続している。

 

 

 

残念ながら人生が変わるほどの影響はまだ現れていないが、少しはポジティブになれたと思う。

もし一冊まるごと実践したら人生は変わるのだろう。それはどの自己啓発本もきっとそうだ。一冊まるまる全部実践すれば絶対に変わる。ただそれをやる人は1万人に1人もいない。このインベスターZのセリフみたいにね。

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だから何にも実践しないのに何冊も何冊も自己啓発本を読んだところでお金の無駄でしかないんだ。

 

 

 

では僕は何を普段読んでいるかというと、小説を読んでいる。

特にこだわりはないが、日本人作家から海外まで、有名なものからマイナーなものまで、ブックオフで安かったり図書館で気になったものを適当に読み進めている。これがたまらなく楽しい。

 

僕が小説が好きなのは、絶対に体験できない世界を小説が僕に見せてくれるからだ。中世ヨーロッパにでも、1000年後の未来にでも、魔法の国にでも宇宙の彼方にでもどこでも僕を連れていってくれる。そして名作と呼ばれる小説にはやはり名作たる所以がある。一文一文がこれ以上ないまでに美しく、ありありとその情景を思い浮かべさせる繊細な描写には息を呑む。

 

そして僕も曲がりなりにも物書きだ。どうせ書くなら読む人の心に響く文章を書きたいと思っている。名だたる文豪の書く文には、読む人を惹きつける魅力がぎっしり詰まっている。僕にとって小説は教科書でもあるのだ。新しい世界を体験するとともに、なぜこの文章はこんなに美しいのだろうかと、僕の追い求めるべきものを示してくれる。

 

小説を読むことが自己啓発本を読むことより正しいとは思わないけど、僕にとっては小説を読むことの方が大きな意味があるんだ。

 

 

僕のお気に入りの小説、村上春樹の「ノルウェイの森」には「永沢」という男が登場する。東大法学部に在籍し完了になることが決まっている秀才、かつ数え切れないほどの女性経験のある彼は、原則として死後30年を経ていない作家の作品は手に取らない。

 

「現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」

 

「他人と同じモノを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる、そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ知っているか?ワタナベ?この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ、あとはみんな紙くずみたいなもんだ」

 

 ー他人と同じモノを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる

 

僕も性格がひねくれただけの意識高い系にしかすぎないのかもしれない。でも、みんなが読むような自己啓発本やビジネス書ではなく、色々な小説を読むことで考え方は豊かに、そして文章に対する感度は高くなっていると信じている。

 

「他人と違うことをしろ」

 

そう高らかに叫ぶ自己啓発本を読んでいるなら、他人が読まないような本、最近の意識高い系が読まないような小説や随筆にも触れ、世界を広めるのも良いのではないだろうか。

 

 

 

<本に関する記事>
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