結局、僕らの部活は何の役に立ったのだろうか。

 

 

 

最近スポーツ界の問題が多い。

 

 

レスリングの伊調馨選手に対するパワハラ問題の真相は明らかになっておらず、稲村亜美さんの始球式で起きた中学生のわいせつ事件の動画には「何が健全な精神の育成だ。こいつらは猿と同じじゃないか」とコメントが寄せられ、スポーツが人を良くするという神話に疑問の声が寄せられている。

 

 

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そして年末から続く相撲界の暴力問題は未だにテレビで取り上げられ、つい先日は土俵で倒れた舞鶴市長を助けようと女性が土俵に上がった際に場内に「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが流れ、相撲協会は人命より伝統の方が大切なのかと批判が相次いでいる。

 

 

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たしかにこの風習はおかしい。明らかに時代錯誤だ。ただ、これらの事件から「スポーツで人間が豊かになるなんて嘘だ!今すぐやめろ!」とか「相撲は滅びろ」とかいうのは違う気がするのだ。

 

 

僕は悲しくなった。青春を捧げて打ち込んだ部活が、スポーツが否定されている。たしかに辛いことや理不尽なことが多かったけど、そういったものも含めて熱中したあの時間は決して無駄なものではなかったと思うのだ。

 

 

★★★★★★★

 

 

僕は小学校一年生から高校三年生までずっと部活をしていた。正確に言えば小学校のときは部活というものはなく、地元の少年野球のチームに所属し、週末は学校の校庭で大人に指導してもらっていた。

 

 

改めて考えてみると、部活は学年が上がるにつれ、次のステップに進むにつれ部員が背負う責任が大きくなっていく。

 

 

例えば少年野球では自分で考えて練習をするということはほとんどない。大人が練習を決め、大人が先導して指導する。そこに僕ら小学生の意志が組み込まれることはほとんどない。

 

 

僕の今までの部活を振り返ると、一番ストレスがなかったのが小学校のときだ。まだその歳だと先輩後輩の概念がなく、みんな友達のように練習をした。一応副キャプテンではあったが、みんなをまとめるといった仕事もなく、大人のコーチの言うことを静かに聞いていれば試合に出られた。それにチームメイトも従順だった。僕のところはかなりスパルタなところで、少しでもだらけていればこっぴどく怒鳴られてしまう。言わば恐怖に支配される形で僕らは真面目に練習をこなした。

 

 

だがスパルタな一方、チームは弱小で、通算で3100敗くらいの戦績だったと思う。それでも友達と野球をするのが楽しかったし、練習後にみんなで遊ぶのを楽しみに毎週練習へ向かった。

 

 

小学校の部活はそういった点で大人の言うことを聞いていればよく、友達と遊ぶ延長みたいな感じでストレスもなく楽しんでいた。

 

 

★★★★★★★

 

 

そんな楽しかった少年野球と、中学に入り部活になると様子が一変する。

 

 

上下関係と顧問の登場だ。

 

 

少年野球では友達のように接してきたひとつ上の先輩が神のような存在になり、彼らの言うことは絶対になる。そして、僕の中学校は暴力が支配する地獄のような場所だったので少しでも気に入らないことがあれば鉄拳制裁が加えられる。そんな荒れ狂った部員をまとめるため顧問もヤクザのような風貌な人が選ばれ、コテンパンに怒られ走らされ、僕らは鍛え上げられた。

 

 

僕は中学の部活の前半で野球という古臭い風習をひきずるスポーツの負の面を学んだ。

 

 

まず入部して坊主にするという暗黙の了解がある。

 

 

僕も仕方なく長かった髪を5ミリに刈り上げ坊主頭にした。そのときはそういうものだと納得して頭を丸めたが、今思い返せば理不尽極まりない。

 

 

まず頭髪を強制するというのはこのご時世で考えれば体罰に値する。

 

 

頭を丸めたからと言って球が速くなるわけでも打率が上がる訳でも無い。ただそういう決まりだからと言うだけである。

 

 

 

それに1年生はやたら走らされるというのも理にかなっていない。野球はどちらかと言えば持久力より瞬発力が必要なスポーツだ。

とくに野手は打球の音に反応して1歩目を速く踏み出す瞬発力、打撃のインパクト時にバットを振り抜くパンチ力が求められる。

何時間も走らされるトレーニングはほとんど意味が無いと思う。それに先輩との絶対的な上下関係も時代遅れと言うべきだろう。

 

 

そんな感じで2年生までの間は抑圧され虐げられ、泥水をすすりながら生きてきた。

 

 

しかし2年の秋から状況は一変する。

 

 

僕は部活の部長に選ばれた。自分で言うのもなんだが僕は荒れた中学で常にトップの成績で、かつ野球も部内で1番うまかった。そんなわけで僕が部長になるのは必然だった。

 

 

部長になった僕はひとつの決意をした。

 

 

「僕は今まで嫌な先輩に暴力で従わせられていた。これからはこんな古い風習はなくそう。みんな上下関係なく言いたいことを言えるいい雰囲気の部活を作ろう」と。

 

 

しかしこの計画は失敗に終わってしまう。

 

 

僕はいい雰囲気を作ろうと下級生にも分け隔てなく接した。もともと同期と下の仲が良い代だったのではじめの方はうまくいった。しかし数カ月が経ち問題が生じる。

 

 

下級生が先輩を舐め始めたのである。

敬語は使わなくなり、自分より下手な先輩を馬鹿にし始めたのだ。

 

 

当然風紀は乱れ、練習にも真面目に取り組まなくなり、部は崩壊しかけた。

 

 

その頃は顧問も温厚な人に変わっていて、先生の力を持ってしても状況は変わらなかった。

 

 

さらに悪いことに、VS残りの部員という構図が出来上がってしまった。絵に描いたような優等生だった僕は先生方のお気に入りである一方、成績底辺かつ反抗的かつ軽犯罪を積み重ねてきた多くの残りの部員は学校にとって目の上のたんこぶだった。当然僕は贔屓され残りの部員は差別される。さらに地域の選抜チームに選ばれた僕は部活にあまり顔を出せなくなり、彼らとの関係は薄れていった。

 

 

そんなある日の素振りの練習中、僕は真面目にバットを振らない部員にキレた。ずっとストレスが溜まっていた僕は思わず「勉強でも野球でも何にしても俺に勝てないお前が練習サボるって生きてる価値あんのか?」とかなりどぎつくキレてしまった。

 

 

彼は万引きに自転車の窃盗をはじめ数々の悪事をしてきたヤンチャなやつだった。彼を内心見下していたのは間違いない。

 

 

次の瞬間、僕は彼が投げたバットが脛に直撃し地面に崩れ落ちた。全治2週間のけがだった。足を引きずりながら保健室に向かうあいだ、僕を睨みつける彼の顔が頭から離れなかった。あの憎しみに満ちた表情はこの先も一生忘れないだろう。

 

 

あいつを殺してやると心から思った。あいつらは俺より下等だ。なのになんで俺に刃向かうんだ。許せない。

 

 

保健室のベッドで横になりながら涙が止まらなかった。後日彼から謝罪を受け事は丸く収まったが部活の荒れ具合は一向に変わらなかった。

 

 

結局僕は部員をまとめきれなかった力のない部長のレッテルを貼られ、不本意なまま中学の部活を終えた。

 

 

この2年と少しを通して僕は学んだことがある。

 

 

恐怖による支配もときに有効だ。ということだ。

とくに反抗的で理性的でない人間が多い集団をまとめるには有効な一手になる。

 

 

もちろんROOKIESのように不良達を甲子園に行くという夢に目覚めさせ一致団結させられたら最高だろう。しかし当時の僕にはそんな力もカリスマ性もなかった。少しは威圧的なリーダーになれば良かったのかもしれない。

 

 

 

この恐怖による支配というのはマネジメントの中でももっとも低次元のものだろう。しかし当時のことを振り返ると、僕は怖い先輩として上に君臨するしか荒れる部員をまとめるしかなかったと思う。

 

 

 

しかしそんな不本意に終えた部活もまだ続きがある。

さっき話した選抜チームの活動がまだあったのだ。

 

 

★★★★★★★

 

 

これは中学校の部活とは別物で、夏に大会があって僕はそれに向けて全く違う地域の選抜された野球の上手な人たちと練習を共にした。

 

 

この経験が僕の部活に対するネガティブなイメージを払拭することになる。

 

 

そこに集まってくるのは実力、意識ともにレベルの高い中学生球児たちだった。

 

 

僕は彼らの意識の高さに圧倒された。自分の中学ではエースで四番で部長を勤めている人たちが、練習の30分前には集まりグラウンドを整備し、黙々とストレッチをしている。いつもなら下級生にやらせるような道具出しも率先して行い、各々が積極的に動いていた。

 

 

僕は感動した。こんなことは自分の中学では全くなかった。仕方なく部長の僕が一部の真面目な部員を率いて準備をし、遅れてくる奴らに嫌味を言うくらいで”俺よりバカで下手なくせに。”と愚痴をこぼしながらやっていたことだ。それを彼らは自分から文句ひとつ言わず全員でやっている。

 

 

それに練習も自由だった。そもそもみんな本気で全国優勝を果たすために集まってきているから、真剣に練習に取り組む。中学のように鬼顧問が四六時中目を光らせていると言うようなこともなく、キャプテンの指示で動きながら、時折和気藹々と談笑しながらも動きにメリハリがあった。

 

 

たまに監督から怒号が飛んできても何がいけなかったのかを反省し、ノートにまとめたり動画を撮っている人もいた。

 

 

僕は恥ずかしくなった。と言うのも意識、実力、共に彼らの水準に全く達しておらず、せっかくこのチームに選ばれたのに何も貢献できなかった。それにいかに自分が狭い世界で生きていたのかを思い知った。

 

 

自分の部活では勉学、実力、共にトップだと驕り高ぶっていたが、全然そんなことはなかった。その選抜チームのエースは有名な私立の進学校の生徒だったし、四番は模試で冊子に名前が載るほどの成績でありながら甲子園常連校からのオファーがきていた。

 

 

世界は広い。ちょっと外に出ただけでこんなにすごい奴が山ほどいる。

 

 

思い返せばこの出来事が僕の人生で初めてプライドをへし折られた経験だったかもしれない。

 

 

その後、僕は練習は顧問の機嫌を取るためにするのではなく、自分が試合で最高のパフォーマンスをするために取り組むのだと意識を変え打ち込んだ。結果としてレギュラーを取ることはできなかったが、たまに試合には出るようになり、チームは全国大会に出場し良いところまで勝ち上がった。

 

 

あの時チームの中核だったメンバーは高校で甲子園に出た人もいた。僕よりはるかに頭が良かった人たちも優秀な大学に進み、好きなことに打ち込んでいる。

 

 

★★★★★★★

 

 

僕からしてみれば、トータルで考えると中学の部活は嫌な思い出が多い苦い記憶として今も残っている。

 

 

それでも確実に自分が成長したのは間違いない。

 

 

 

言うことを聞かない不良をどう扱えば良かったのか、理不尽な先輩、顧問にどうすれば取り入れるのか、本当にすごい人たちはどういった意識で練習に打ち込んでいるのか。

 

 

下のレベルから上の人たちまで、いろんな世界を見ることができた。そういった意味では荒れた中学で部長まで経験し、トップの実力を持った集団に混じって野球をした僕の経験は貴重なものだった。

 

 

そして高校の部活もきつかった。

 

 

ただ高校からは同じレベルの頭の人が集まるため、不良がいたりだとか顧問が理不尽だとかそう言うことはない。

 

 

ただ練習は今までで一番過酷だった。勉強と部活の両輪のバランスを取る生活は困難を極め、体調を崩したり鬱になりかけることもあったが、そこにはいつも支えてくれる仲間がいた。やはり自分と近い環境にいた人たちと生活を共にするのは楽しかった。話も通じるし、暴力を振るう人もいない。小学校以来によく遊ぶ親友ができたのもこの頃だった。

 

 

練習がしんどすぎてやめそうになったこともあったけど、仲間に励まされ、部活も受験も乗り越えた。彼らとは今でも旅行に行くくらい仲が良く、今度は同期の就職先の決定祝いに行く予定だ。

 

 

ここまで僕の部活歴を振り返って見て思うのは、どう考えても部活に捧げた時間は無駄ではなかったと言うことだ。マネジメントの難しさや、リーダーシップの取り方、時間の使い方まで。色々なことを学び、成長していったのは間違いない。

 

 

ただここまで話した中で、まだ語り尽くしていないものがある。

 

 

それはスポーツをしていると訪れる、一生忘れることができない感動の瞬間だ。

 

 

僕は今でも忘れない。

 

 

小学校最後の試合でレフトの頭を超えるスリーベースを打ったこと。

中学校の予選で相手の絶対的エースから決勝タイムリーを放ったこと。

高校の引退試合で最後に顧問と固い握手を交わし、涙が止まらなかったこと。

 

 

他にも、夕暮れの帰り道を汗と泥でぐしゃぐしゃの格好をしながら歩いたこと、遠征先から車で帰る途中に見えた、遠くの山々が美しかったこと、引退の前日、たった1人でダイアモンドを全力で駆け抜けたこと。

 

 

忘れられない瞬間がいくつもある。

 

 

間違いなくあの時の僕は、地球上の誰よりも早くダイアモンドを駆け抜けた。

 

 

誰もいない校庭に響く、スパイクが土を噛む音、暗闇に浮かぶ白いベース、全力で駆け荒ぶる息の音。

 

 

そういったものは今でも僕の記憶に鮮明に残り、かけがえのない美しい瞬間としてあの日から切り取られ、頭の中のアルバムに貼り付けられている。

 

 

 

高校二年生の時、引退する先輩がこんな言葉を残していた。

 

 

どう考えたってこの三年間、嬉しいこととか楽しいことより、苦しくて辛いことの方が多かった 

なのに、なんでか今こうやって思い返して見ると、みんなとの楽しかった思い出しか頭に浮かんでこない。

辛いことの方が楽しいことの100倍あったはずなのに。

だから俺の三年間は本当に幸せで、楽しかったって言い切れる。みんな本当にありがとう。”

 

 

 

そういった、辛さ苦しさを超えた強烈な楽しい思い出がきっと皆さんにもあるはずだ。そしてその思い出は、はっきりと姿を現すことはなくとも、心のそこにしっかり根付いていて僕らを支えているのは間違いない。

 

 

僕らの部活は無駄ではなかった。たとえいろんな問題がスポーツで起きたとしても、スポーツそのものの価値を貶めることはならない。

 

 

ただ時代にそぐわない古い伝統はそろそろ限界を迎えるだろう。体育会的な絶対的な上下関係や根性論は見直され、働き方も大きく変わり始めた。確かに理不尽な扱いを受けて忍耐が身につくのは事実かも知れないが、しなくていい苦労だろう。時代と共に人の考え方が変わるのは当たり前だ。変化に富んだこの時代にうまく適応するために、スポーツは伝統と折り合いをつける時期にさしかかっているのかも知れない。

 

 

 部活は無駄なものではない。勉強をするために部活を犠牲にするのは間違っている。勉強なんていつだってできるが、部活は限られた期間にしかできない。その限られた時間を精一杯生き抜き、全力で駆け抜けた経験は将来の自分の礎になるはずだ。

 

 

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