意識高い系中島diary

都内在住。意識高い系大学生の見聞録。Twitter ID @Nakajima_IT_bot

自分に優しく、他人に厳しく、ババアにはもっと厳しく

 

 

僕はこのブログで、まるで聖人君子のように物を言っているが、現実は全くもって異なる。

僕ほどちゃらんぽらんな人間はなかなか見ないし、僕ほど自分に甘い人間もなかなかいないと思っている。

 

そんな僕だが高校を出て浪人し、大学に入り、自由な時間がこれまでとはケタ違いに手に入り、ひとりで色々なところをほっつき歩いたりいろんな人と出会う中である一つの真理にたどり着いた。

 

それは人は自分が思うように好きに生きるべきだということだ。


僕が生きるのは重い荷物を苦しそうに運ぶ老人を助けるためでも、付き合っている彼女を幸せにするためでも、家族にいい思いをさせてあげるためでもない。僕自身が幸せになるために生きている。ただそれだけだ、他人には他人。僕には関係ない。

 

この結論に辿りついて以来、僕は基本的に自分の利益のために行動することを意識した。

 

なんて無礼な、お前には血が通ってないのか。と思われるかもしれないが、別に無言で他人を殴り飛ばしたりだとかビルから飛び降りそうな人を囃し立てたりだとかそんなことをしているわけではない。

 

困っている人がいるならば、できる限り手を差し伸べる。
電車で座っているときに目の前に妊婦さんや足腰の弱いご老人が来れば席を譲る。

両親にしっかりしつけられて育った僕には世間一般の道徳はある。と思っている。

 

ただそれも突き詰めれば誰かのためというよりかは自分のために近い。心の中では困っている人のためと思い行動していても、結局は見て見ぬフリをして手を差し伸べられず心にモヤモヤしたものが残る不快感を嫌って行動したとも捉えられる。

「情けは人のためならず」ということわざがあるが、それも親切は巡り巡って自分のためになるという意味であり、僕の感じたこともある程度的を得ていると言えよう。

(ちなみにこのことわざを「親切は結局その人のためにならない」と誤解している人が多いが、誤りである。)

 

 


さて、話は変わるが僕は自分に甘い。アンパンに蜂蜜かけて食ってるんじゃないかってレベルで甘いのだ。

 

面倒くさいことがあればどうにかして楽に切り抜けようとするし、自分でやらなくてもいいことはどんどん他人に任せるし、お金があれば何でも解決することを学んで依頼、利益があるかどうかで物事を選ぶようになった。

 

もちろんそういう自分に甘い面を人に悟られないようにしてはいるが、バレていないことを祈っている。


たいして他人には厳しく接するようにしている。
もちろん、強い口調で話しかけたり、気に入らなければすぐ胸ぐらを掴んだりとかいうわけでもない。

 

ただ自分にとってプラスになるようないい関係性であれば積極的に関わるがそれ以外とはなるべく距離を置くようにしている。無駄な人間関係に時間を割くほど暇じゃない。ネガティブな人と一緒にいるだけで気が滅入るし、気に入らない人と関わってイライラするのは時間の無駄だ。

 

そういう人とはリアルではなるべく顔を合わせないようにし、ネットでもこいつは見てるだけでイライラすると思ったらTwitterもインスタもミュートしている。ネットのいいところは見たくないものを見ないで済ませられることだ。不快になる前に自分でしっかりフィルターをかけ、自分を守ることができる。

 

そしてそれは家族とて例外ではない。両親には感謝しているが金銭面で何度か揉め、彼らとは意見が違い過ぎてこれ以上関わっても無駄だと分かって以来距離を保つようにしている。何かアドバイスしてきても無視だ。学費も何割か自分で出し、その他のお金は一切もらっていない。だから授業に出ろ程度のアドバイスには従う義務はあるが、なにして遊ぼうがどこに旅行に行こうが全て100%自分の金でまかなっているため文句を言われる筋合いはないと思っている。旅行にいくたびになんでそんなことするんだ危ないだろと英語もろくに喋れない親に小言を言われるが全て無視だ。親の助言なんて聞き流すくらいで良いと思う。小さい時はともかく、大学に入ってから親の助言が役に立ったことは一度もない。

 

そして僕はなるべく怒ることを心がけている。理不尽に嫌な思いをした時とか、そういった時にはキレなくてはならない。自分のプライドを守るため、そしてナメられないために怒ることは時に大切なのだ。

 

 

 

僕は度々ブログで治安の良くない地元の小中学校時代のエピソードを紹介してきた。特に中学はひどく、入学する数年前までは廊下をバイクが走り、僕が入学した後も2年生の時にはクラスメイトが何人か妊娠し、窓ガラスは毎週割られ、薬物をやっている友人もいた。


各クラス1人は少年院にぶち込まれていた。暴力沙汰は日常茶飯事。授業は全く進まずいじめが原因の飛び降り自殺未遂もあり警察が押し寄せてきたりもした。

 

そんな暗黒の中学時代を過ごした僕だが、この3年間で学んだことが一つだけある。

 

それはナメられたら終わりということだ。

 

僕の学校にいる不良はとにかくイキっていた。すれ違う者にはガンを飛ばし、ちょっとでも肩が触れれば喧嘩沙汰になる。

 

何故そこまで自分を強く見えようとしていたか。それはナメられたら終わりということをバカでもバカなりに本能的に理解していたからだと思う。

 

僕の中学は力が全てだった。腕っ節が弱ければいいようにされ、ナメられて目をつけられればパシリとして生きていくことになる。


彼らはそうならないように必死に自分を強く見せようとしていたのだ。たとえ力が強くとも、弱い一面を見つけられればカースト下位からも軽蔑されプライドが砕かれる。

 

僕は当時成績が良いのと、野球部の部長を務めていたというだけでなんとかスクールカーストの上位に食い込んでいたため、彼らの標的にされることはほとんどなかった。
喧嘩はめっぽう駄目でナメられていたが、勉強ではトップを取っていたためかろうじて身を守ることができた。

 

 

 

そして当時の教訓は今も生きている。

大学に入ると自分と同じような学力での人間が集まり、能力には大して差がない。

 

しかし、育ちには大きな差がある、大学は育ちの多い人が多く、友人の多くが有名中高一貫校を卒業している、中には幼稚園から私立という人もおり、皆都内の一等地に住んでいる。

 

そういった環境でこそ、ナメられないようにしなくてはならない。僕は彼らに比べれば育ちが悪い。しかしそういった環境では逆にワルの中で生きてきた経験が役に立つ。

 

多くの人が育ちがよく温厚な友人ばかりだが、時たま僕に理不尽な誹謗中傷を浴びせてきたりする。いじられ慣れているためある程度までは笑って許しているが、一定のラインを越えれば容赦無くキレる。ここでも中学と同様、ナメられてはいけないのだ。

 

彼らの多くは本気でキレられる経験がないため、本気で怒るとすぐに身を引く。それ以降は攻めたことをすることもなくなり、ナメられなくなる。こう書くといささか僕が暴力的な人間に映るが決してそんなことはなく(ないと信じている)、時として怒ることの大切さを説いているだけだ。これは友人関係だけでなく、バイト先や家の中でもそうだ。他人に厳しく、怒る時には怒ることでナメられず、優位な関係を保つことができる。


僕が筋トレをしているのも、実はナメられないためというのもある。
万が一、つかみ合いになった時、必ず勝てるよう日々鍛えている。イキリトと思われても構わないが、筋トレをして「よし、いざとなったらアイツを倒せる」というメンタルを手に入れるだけで毎日強気でいられる。ムカつく相手がいたらいつでも殴り飛ばせるよう筋トレをしよう。



 

 

そして最後になるが、ババアにはさらに厳しくしなくてはならない。やつらは土足で僕らのテリトリーに入り込んでくる。僕の地元のババアなんかは強烈で、僕の通うジムに圧倒的にジジババが多いのだが特にババアのタチが悪い。

 

スクワットやデッドリフトで使うラックでアキレス腱を丁寧に伸ばし始めたり(邪魔なこと極まりない)、水着を着て入る男女共用のサウナでは大声でガンは丹田呼吸で治るなどアホ話をしたり。若いイケメンのインストラクターにベタベタ触ったりとやりたい放題だ。

 

これは地元に限った話でなく、1度都内のおしゃれな飲食店でバイトしてた時も「ここ何屋さんなの?あんた。ねえ。よく分からないんだけど。え?なにこれ。全然わかんない。なんかおすすめちょうだい。でもマヨネーズはだめね。」なんて話のわからないババアが大量に来ていた。

 

あのうるさいババアたちは地元だけではなく全国共通なのかと思い知らされた瞬間だった。そして聞き分けのないババアには断固とした態度で接しなくてはならない。

 

僕は1度ジムでババアに絡まれてよく分からないトレーニングとくだらない話に2時間も付き合わされ、二度とババアに甘い顔をしないと決意した。話しかけられても会釈程度で笑顔は見せず、イヤホンは外さない。俺に話しかけるなオーラを出すわけだ。それでも強引に「ねえあんた」と触ってくるババアがたまにいるが「すんません忙しいんで」と自分の時間を守り抜いている。

 

とにかくババアは恐ろしい。敬老の日だかなんだか知らんが確かに老人を敬うことも大切だけど、歳食ってるのをいいことに横柄な態度をとるジジババには毅然とした態度で接しなくてはいいようにされてしまう。気をつけよう。

 

 

自分に優しく、他人に厳しく、ババアにはもっと厳しく。

 

これが僕のモットーだ。

 

自分にとって居心地のいい環境は自分で作るしかない。これからもうまいこと距離を取って過ごしていきたい。