全ての浪人経験者、これから浪人する受験生に捧げる

 

 

高校3年生の2月末、僕はそれまでの生涯の中で最大の絶望を食らい、膝から崩れ落ちた。第一志望の二次試験の数学を終えた休み時間。本当に1問もわからなかった僕は試験を諦め、滑り止めで受けた私立大学の合格発表を見た。

しかしそこに僕の受験番号はなかった―

 

事実上の浪人が決まった瞬間だった。四月から華の大学生活が始まることを信じて疑わなかった僕は、本当に目の前が真っ暗になって、何も考えられなくなった。

結局二次試験は下位5%の成績で圧倒的不合格、さらに後期試験も見事に落ちた。
僕が合格を確信していた私立も受験生の半分より下の成績で落ちていた。

こうして僕は、他に行く大学がひとつもないという屈辱的な理由で浪人の道を歩むことになったのだった。

 

 

高校三年生の3月後半、卒業式を終えた、とある午後のことを今でも鮮明に覚えている。

 

 

すっかり冬が終わり春が訪れていた。僕は自分の部屋のベットで予備校の資料を眺めていた。

 

「〇〇予備校のおかげで志望校に受かりました!」
「〇〇予備校で1年過ごせたことを誇りに思います!」

 

読んでるうちに涙が止まらなくなった。春の陽気で温かい部屋、窓から差し込む柔らかい光、フカフカの布団。こんなに幸せな空間は存在しないだろう。そんな中、僕は枕に顔を埋め、気が済むまで涙を流した。

 

つい二週間前まで抱いていた、四月から大学生になり自由な生活を送るという夢は崩れ去り、1年間死ぬ物狂いで勉強しなくてはなら逃げ場のない牢獄の入口に立って僕は絶望に暮れ、立ち上がることができなかったのだ。
それほどまでに全ての大学に落ちたという事実は僕のプライドを完膚なきまでに打ち砕いてしまった。

 

そして四月を迎え、僕は予備校に通い始めた。駅から校舎までの道には桜の木が植えられていて、僕はそのしたを項垂れて歩く。すぐ近くに大学があって、一限に急ぐ大学生や、ランチにいく大学生を見ては、心底惨めな気持ちになっていた。

 

「俺はこいつらより頭がいい。こんな大学行くくらいなら働いた方がマシだ。」

こんなことを言い聞かせ、彼らに理不尽な嫌悪感をぶつけながら自分の運命を呪った。
運良くクラス分けのテストで一番上のクラスに入れたものの、塞いだ気分は一向に晴れなかった。

今思えば僕の浪人生活は四月が一番辛かったかもしれない。みんなが新しい生活を始める中、高校生でも大学生でもない、言ってみればニートと同じ自分が嫌だった。そんな自分を受け入れ、真剣に勉強に向き合えるまでかなりの時間がかかったのだ。

 

一方、予備校の授業はとても面白かった。今まで塾に行くという経験がなかった僕にとって受験に特化した授業はとても即効性があり、心は未だに暗いながらも成績は格段に伸びた。しかし来る日も来る日も勉強する生活を全く楽しめず、始まって1ヶ月でだいぶ精神が参ってきた。本番までまだ残り9ヶ月。日数に直して約270日。気が遠くなるような道のりだった。

 

そんな苦しい生活の中、光が射す瞬間がほんのいっとき訪れる。

今までなら手も足も出なかった問題を、スラスラと理解し解ける瞬間があるのだ。

目の前に道が開け、その道は合格までまっすぐ続き、苦しみから解放されたかのような感覚に浸る。

この世の全てを解き明かしたかのような全能感。

しかしこの陶酔の時間は一瞬のまやかしでしかない。

数分後には再び分からない問題に直面し、救いようのない現実に引き戻される。

開かれた道は閉ざされ、射し込んだ光は雲に隠される。

ドストエフスキーは”死の家の記録”のなかで、”もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ”と語った。

もちろん受験勉強は無意味ではないが、やっと理解できたと思ったらすぐに分からない問題が顔を出す。

彼が手記に記した、土をやっと掘り終えたと思ったら再び埋められ、また掘れと命じられこれが永遠と繰り返される、あの拷問に似ている。

 

 

 

喜びと絶望を幾度となく繰り返し、季節は過ぎていった。春に比べると僕の心は落ち着きを取り戻していったが、来る日も来る日も机に向かう毎日は確実に僕の精神をすり減らしていった。

 

予備校からの帰りの電車で、単語帳を読んでいたとき、ふと見上げた遠くの山々が夕日を浴びて美しく見えてこのまま電車に乗って山の麓まで行ってみようかと思うことがあった。だけど、そういうわけにはいかないのだ。大人しく図書館に向かい、勉強しなくてはならない。窓の外の自由な世界に思いを馳せ、泣きながら電車に座ることもあった。

 

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