人生の節目にいい小説と出会っている

 

 

僕が文章を書きたくなるときってのは、大きく分けるとふたつあるんだ。

 

ひとつは「いいと思ったものをたくさんの人に知ってもらいたいとき」

 

もうひとつが「すごくいい気分になって何か書きたいとき」だ。

 

こんな書き出しから始まってることから分かるように、今回は後者ってわけだ。

 

今僕は八戸の港から苫小牧に向かうフェリーのなかでこの記事を書いていて、その横には「ライ麦畑でつかまえて」がポンと置かれている。

 

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かっこつけてウィスキーなんて置いちゃってるけど、これがとんでもなく苦いんだな。僕は全然お酒なんか好きじゃないんだ。

 

おまけに船が結構揺れるもんで、気持ちが悪いんだ。酒なんか飲むもんじゃない。別に船に乗ってなくてもだよ。いつだって酒なんていらないんだ。ほんとだよ。

 

もちろん船の中はWiFiなんて代物はないから、この写真も、この先にのってる写真も、港について街中に移動してスタバかなんかのWiFiがあるところで貼り付けることになるんだと思うけど、きっと未来の僕はなんて小っ恥ずかしいことを書いてるんだなんて思いながら写真を貼っているんだろうな。

 

なんで今気分がよくて書かずにはいられなかったかというと、盛岡から八戸まで、僕はえっちらおっちらバスで来たんだけど、周りの景色っていうのがね、もうとんでもなく緑だったんだ。

 

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普段東京にいると、日本の国土の7割が森林だなんて思いもしない。7割がコンクリートだなんて思っちまうんだ。でもこうやって都心を離れて田舎の国道を走っていると、日本って森だらけなんだなあって思うんだよ。

 

何もこんなセンチな気分になってるのは森のせいだけじゃない。

 

岩手から青森に入ったところで、急に霧が立ち込めてきたんだ。

 

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僕は驚いちまったよ。なんてったって今は8月だ。

我慢できないくらい暑い日が続いていたのに、東北はもうすっかり秋の顔をしてるんだ。

 

途中パーキングエリアで止まったんだけど、パーカーを着ていても身震いするくらい寒くてね。夏はどこへ行っちまったんだって、少し寂しくなったわけだよ。

 

で僕はバスに戻ったんだけど、こんな田舎のバスだからWiFiなんて洒落たもんはついてないわけだから、することがないんだな。

 

本当ならスマホを開いてTwitterを見たり、パソコンを開いてブログを書きたいところなんだけど、そんなことはできないわけだ。

 

じゃあ僕はそこで何をしたかっていうと、カバンの中から小説を取り出したんだ。

 

それが「ライ麦畑でつかまえて」だったんだ。

 

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「だったんだ」なんて言い方はおかしいな。だって僕はこの道中、ずっとこいつを読んでいたんだから。

 

最近は野暮用が溜まっていて、ろくに小説なんて読めていなかったんだ。でもこいつだけはずっとカバンに入れて、時間があるときに読んでいた。

 

なんで小説を読むのかっていうと、僕はどうしてもセンチな文章が書きたいんだよ。人の心を揺さぶるようなね。そうするためには良いものをたくさん読まなくちゃあいけないんだ。

 

本屋に平積みされてるような胡散臭いビジネス書なんて読んだところで何にも楽しくないんだな。あんなのは太字だけ読めば用済みで、読んだ内容なんてみんな次の日には忘れちまってるんだ。みんな賢くなった気でいるだけで、読んだことを実際にやってみなきゃドブに捨ててるようなもんだよ。まあ一種の麻薬っていったところだな。ああいう本は。

 

じゃあどうすればいいかって、いいものを書くにはいい小説を読まなくちゃいけないんだ。少なくとも僕はそう思ってる。

 

 

 

 

ところで「ライ麦畑でつかまえて」はとんでもなくイライラする読み物なんだ。

 

なんてったって主人公がとんでもなく支離滅裂な野郎でさ、学校をクビになって実家に帰るはずが、ニューヨークの街をさまよい歩いて、あーでもないこーでもないと文句を言いながら酒を飲んだりなんかして、なかなか家に帰らないんだよ。

 

ここまで聞くと恐ろしく退屈な物語に聞こえるかもしれないけど、ところがどっこい、それがクセになる面白さなんだよな。

 

ライ麦畑の何がよかったかを事細かに書いてもいいんだけど、それこそ恐ろしくつまらない文章になっちまいそうなんだ。

 

面白い小説ってのは、そう簡単に要約をさせてくれないんだよ。

 

 

だから違うことを書きたいと思うんだけど、何が言いたいかって、人生の節目でいい小説に出会ってるって、僕は思うんだ。

 

 

 

 

例えば。

 

去年僕はノルウェーに行って、ノルウェーの森でノルウェイの森を読むって夢を叶えたんだけど、そいつがまあ1年たった今もキラキラした思い出としてずっと残っているんだ。

 

今でも思い出すことができるよ。

 

ベルゲン鉄道っていうノルウェーのとんでもない山奥を走る鉄道があってさ、日本人なんて誰も乗ってやしないんだ。アジア人もいやしない。僕はパンパンにつめた重いリュックを隣の席に置いて、果てしなく続くノルウェーの森を見ながら、ノルウェイの森を読んでいたんだ。

 

読んだことがある人なら分かると思うけど、ノルウェイの森にノルウェーの森なんて出てこないんだ。出てこないんだよ。一度も。こんなおかしな話ってないよな。

 

でもすごい楽しくて僕は思わずそのときの気持ちを記事に書いたんだ。帰国してからね。今でもこの記事を読むと、あのときの思い出が蘇って、とてもいい気分になるんだ。

 

 

数え出したらキリがないけど、他にも色々あった。

 

中学生の頃、野球してた頃に読んだ「バッテリー」はピッチャーでうまくいってなかった僕に勇気をくれたし、高校時代に読んだ「喜嶋先生の静かな世界」は勉強したいって気持ちにさせてくれた。

 

大学生になってから読んだ「竜馬がゆく」は行動をすることの大切さを教えてくれたし、「グミ・チョコレート・パイン」は思春期の鬱憤と溢れ出さんばかりのエネルギーを思いださせてくれた。

 

 

きっと「ライ麦畑でつかまえて」も、このタイトルを聞くたびに、霧が立ち込める山、エンジンの音だけが響き渡るバスの車内、灰色の雲の先に見えた夕日を、一緒に思い出すんだろう。

 

 

人生の節目なんて大げさな言い方をしたけど、季節の変わり目とか、新生活が始まる時とか、そんな変化のときにいい小説と出会ってきたおかげで、僕の人生が楽しくなっているのは間違いないんだ。

 

あのときの感情とか景色とか匂いとか音が、いつだってありありと思い出せるんだ。これって結構すごいことだと僕は思うな。

 

だからね、僕はもっとみんなに小説を読んでほしいんだ。

 

あれを読めこれを読めなんて偉そうなことは言わないよ。

 

でもね、たまには小説を読んでほしいんだ。他人の人生を追体験させてくれるのが小説で、僕らを知らない国、時代、世界に連れていってくれるんだよ。それってすごい素敵なことじゃないか。ねえ。少なくとも僕はそう思うよ。

 

そうこうしているうちに船の揺れがきつくなってきた。パソコンなんか触ってたら吐いちまいそうだ。じゃあ僕は寝ることにするよ。おやすみ。

 

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

 

  

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