スポーツ見て応援する前にお前が頑張れ

 

僕はスポーツ観戦が好きで1年に3回くらい野球やラグビーの応援に行ったりテレビで見たりする。

人生をかけて試合に臨む選手の熱い姿を見てとても感動するのだが、一方でビール片手にヤジを飛ばしてる人たちは一体何をしてるんだろうと不思議だった。

 

彼らを見るたびに『いや金払って応援する前にお前が頑張れよ』と思っていた。

 

先ほどスポーツをよく見ると言ったが、僕は応援の際には何かしら自分にとってプラスになるものを得ようと常に心掛けている。

時間とお金をかけて観戦するわけだから、何かしらのリターンがないと浪費で終わる。それだと意味がない。

 

 

 

例えば昨年話題になったラグビーW杯。

ビール片手に応援して勝って喜んで家帰ってクソして寝る。

次の日起きたらもう何にも覚えてない人がほとんどではないだろうか。

 

僕はテレビで観戦していたが、大好きなラグビーをもっと多くの人に知って欲しいと思い、決勝の前に南アフリカについて予習し試合直前やハーフタイム中に合わせてツイートを予約投稿した。

 

 

これだけでなく試合を見て感動した点、今日から自分でも実践できることは忘れないうちにメモをして、のちに書く記事に活かした。

 

スポーツ観戦にとどまらず、自分の時間を使う行為は全て何かしらリターンを得るようにしないと浪費に終わる。

逆に何かに活かそうとすることでそれは投資に変わる。

そしてこれを意識することの積み重ねでだいぶ未来は変わってくる。

大袈裟ではなく、本気で。時間は誰にでも平等に与えられた資本だから、最大限有意義に使わないと損をする。

 

しかしほとんどの人が何も考えず漠然とスポーツ観戦をしていると思う。

応援自体を否定しているわけではない。好きなチームを応援し、チームの勝利が生きがいになり、観戦に行くために頑張って仕事をするモチベーションになっているのなら、それも立派な投資である。

しかしただ暇つぶしで観戦して、酒片手にヤジを飛ばすような人は何のために来ているのか意味が分からない。

 

何が『頑張れ』だよ。お前が頑張れよ。

何が『しっかりしろよ』だよ。お前がしっかりしろよ。

 

歳をとると、何事につけても偉そうにアドバイスをするようになってしまうらしい。

僕は自分は何も成し遂げていないのに偉そうなことを言う人間にはなりたくない。

そして限られた時間を最大限有意義に使いたい。

 

スポーツを見て勇気をもらったら、それをすぐにエネルギーに変えて活かしたい。

明日からフィールドに立ってプレーするのは不可能だとしても、彼らの逆境を覆す精神力、ブレないメンタル、一点にかける集中力、それらに憧れ、真似し、取り入れることは誰にだってできる。

 

誰かを応援するのも大事だが、それ以上に自分が頑張りたい。

自分が頑張ることで、いつか応援される人になりたい。

そして誰かを勇気づけることができる、そんな存在になりたい。

 

そう思った2020年の幕開けだった。

 

それでは素敵な1日を。

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